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リグーリアにて

ニースから
また国境を越え、
イタリア、リグーリア州へ入る。

松嶋シェフがコンサルタントを務める
Extraという名のオリーブオイルの生産者による
アグリツーリズモにて一晩お世話になることになった。


リグーリア産のオイルといえばシェフ・料理人ならずとも
食に興味のある人であれば必ずや耳にするであろう、
もはや一種のブランドである。

中でも
代名詞ともいえるであろうArdoino
美しく輝く黄金色に包装されたそのボトルは
創業1870年という
その威厳すら感じさせ
リストランテで、高級食材店で
他とは違うんだぞ・・なんていう存在感。
僕もイタリア料理を志し始めた頃から
このオイルには憧れていたものだ。

そして地のハーブとオイルを多用するリグーリアの料理には
ずっと興味を持ち、独学ではあるが勉強はしていたし
デリケートで穂のかに甘いそのオイルは
今だって繊細な料理や魚介料理には特に好んで使用する。


さて、
ヴェンティミリアでイタリアの列車に乗り換え
インペリアに到着。
いかにも'イタリアンレディー'といった感じの
世話好き、お喋り好きのラッファエッラが駅まで迎えに来てくれ、
丘の上のアグリツーリズモへ。。

主要メンバーである
アンナ、ステファノ、クリスティーナが集まり
シャンパンが開けられ
テイスティングを兼ねたランチが振る舞われた。

オイルの他にもイタリア中の質の高い食材を扱うExtra。
地の野菜をオイル・ヴィネガー漬けにした前菜からはじまり
パスタ、リゾット、フォアグラ、チーズ、ジェラートと。
イタリアンホスピタリティに満ち溢れた
笑いの絶えない素敵な時間を過ごした。

こんな時間は思い出すだけで
顔がほころび
なんだか胸がきゅんとしてしまう。
大切なタカラモノとして
ずっとずっと心のどこかに残るもの。。
リグーリアにて_a0230922_21443969.jpg
食後、
タッジャスカオリーブの木と野菜畑の見学に行き
オリーブオイルのエキスパート、ステファノにたくさんの話を聞き
僕も負けじと質問をする。
質問のひとつひとつに丁寧に応えてくれるステファノ。
なんとも有意義な時間であった。


そしてディナーには
アンナと有機小麦のみを使っているというピッツァと
シチリア産の白ワインを楽しみ
イタリア地方料理談義、
それから世界各地で体験した
美味自慢に花を咲かせた。


その後の車中の会話より。。
僕 アンナ、苗字はなんていうの?フェイスブックで探してみるよ。
アンナ Ardoino. A-R-D-O-I-N-O
僕 オッケー

ステファノが講師を務めるオリーブオイル講座に参加したあと。
僕 すごく興味深かったよ。
アンナ オリーブオイルの学校を世界で初めて開校したのは私のノンノなの。
僕 へぇ~!それはすごいな!

そこでピンときた。
僕 もしかして、、アンナの苗字のArdoinoって、あのArdoino!?
アンナ へへ、そうだよ。
僕 え~~!ああ、そういえば松嶋シェフがExtraはArdoinoの家族が創設したって言っていたなぁ。でもアンナだったなんて・・!


Ardoinoブランドは
数年前に他人に売ってしまい
今後のビジネスの展開において
使えないし
使いたくはないというが、

この旅始まって以来
一番の驚きだった事はいうまでもなく


世界は広く
そして狭い
と、また改めて実感した一日でした。

2011年10月12日
インペリアより
# by kentaro_torii | 2011-10-12 23:59 | イタリアより

ストライキと青い海

ニース滞在5日目、
僕はモナコへ向かった。

世界各地で計26ヶの星を維持する
フランス料理界の巨匠ジョエル・ロブションのモナコ店でランチを。
と意気込んで
勇み足にニース駅に到着したのだが
掲示板に表示されている発着の列車の数が極端に少ない。


ストライキだ。


特にフランスやイタリアでは
ストライキの権利は行使して当然のものといった感が強い。
一般の会社、鉄道・バスだけではなく、
航空会社や郵便局まで急にストライキを起したりするのだから旅行者には堪らない。

ヴェネツィアでも滞在2日目に
ヴァポレット(車のない島内の移動に欠かせない水上バス)のストライキに遭い、
前日購入した使う術のない24時間有効のチケットを握り締めつつ
足を棒にして島内を端から端まで歩かざるをえなかった。
(それはそれで楽しかったのだが)


さて、
途方に暮れている暇もなく駅のインフォメーションに赴き
バスでのモナコへの行き方を確認。

バスが発着する広場まで早足で15分。
バスを待つこと15分。
モナコへの道のりは1時間。
結局、レストランに到着したのは2時15分。
ランチなら空いているテーブルはあるだろうと
予約などはしておらず
2時ラストオーダーであるキッチンはクローズしていた。。

残念ではあったが
落胆したかというと
それが意外にそうでもない。

というのも、
海岸線に沿った崖を走るニース・モナコ間のバスから臨む
美しくどこまでも青い海を眺め、
10月だというのに未だ強烈な太陽の光を浴び。
列車では味わえなかったであろう至福のひと時を過ごした。
ストライキと青い海_a0230922_7325487.jpg
そして
ランチタイムが終わる前にと
慌てて入ったカフェで食べた
シンプルにソテーした目が覚めるほど新鮮な地中海産の鱸と
きっとプロヴァンスの檸檬で作ったのであろう
これまたシンプルな甘酸っぱい檸檬のソースの
美味しかったことといったら。。
ストライキと青い海_a0230922_7351747.jpg
結果、コートダジュールの恵みを体いっぱいで感じる素敵な一日であった。

世界中の都市にあるロブションでのランチよりも
きっと価値ある時間であったのではないかな・・

と、いうのは決して痩せ我慢ではない。

2011年10月11日
ニースより
# by kentaro_torii | 2011-10-11 23:59 | フランスより

ニースへ

マラーノ・ヴィチェンティーノでの4週間の研修を終えた。

昨晩はサービス終了後、ピッツァとプロセッコで送別会をしてもらい
良い時間を過ごしたなぁなんて
満足感に浸っていたのだが、それも束の間。

現在、ミラノを経由してニースへ向かう列車の中。
曇り空のコートダジュールの海を
きっと空よりもさらに曇っているであろう
お世辞にもも綺麗とはいえないイタリアの列車の窓ガラス越しに臨んでいる。


ニース滞在の目的はひとつ。
僕の手紙の受取人、
松嶋啓介シェフによるレストランKeisuke Matsushimaでの一週間の研修を予定している。


松嶋啓介。
25歳で自らのレストランをニースに構え、3年後にミシュラン一つ星を獲得。
東京にも一つ星のレストランを展開し、
その他、和食レストラン、結婚式場や経営コンサルタントをも手がける
世界を舞台に活躍を続けるシェフである。

僕は遠くで走り続ける松嶋シェフの背中をみて
外国で働くシェフとしての自らの道を探し、そして歩み、
尊敬と憧れを抱き続けていた。
雑誌やインターネットで日々の活躍を追いかけ
いつからかそれは僕の発奮材料となっていたのだろうな。

そんな雲の上の存在であった松嶋シェフ。
縁があって今年4月にシンガポールでお会いし、
更に8月には東京のお店で松嶋シェフの帰国滞在と重なり
運よく再会することができたのだが。
今回ニースでお会いするということは半年のうちに3度も
しかも遠く離れた3都市でお会いできるということになり
(勝手ながら)親近感も沸いてしまうものだ。


憧れの存在というのは
人を強くする。
勇気をもらい
パッションを補給し
自分自身を見つめる。
そんな大切な時間を与えてくれるものだ。

そんな人と時間を共有できるというのは
夢のような話であり、
自分はなんて運が良いんだろうと
見えない何かに感謝している自分がいる。
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ヴェンティミリアで乗り換えた列車は国境を越える。

太陽が顔を見せ始めた。

2011年10月6日
ニース行きの列車の中より
# by kentaro_torii | 2011-10-06 23:59 | フランスより

旅の1コマ 2

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シャボン玉とんだ バッサーノ・アル・グラッパ
2011年9月18日
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ヴェローナ 29歳の景色
2011年9月25日
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ヴェネツィア 微笑む仮面
2011年10月2日
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サン・マルコ広場 本を開くライオン
2011年10月2日
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ヴェネツィアにて一目惚れ
2011年10月3日
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時を待つエプロン マラーノ・ヴィチェンティーノ
2011年10月5日
# by kentaro_torii | 2011-10-05 23:59 | 旅の1コマ

ヴェニスの商人

水の都ヴェネツィア。
9世紀、
1人の商人がエジプトより
のちに守護聖人となる聖マルコの遺体を持ち帰り
この美しい水の都の発展は始まったそうだ。
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その聖マルコが納められている
サンマルコ寺院では4頭の馬(クアドリガ)が旅人を迎え入れる。

彼らは紀元前にローマにて製作され、
その後コンスタンティノープルに移動され年月を重ねていた。
13世紀、
ヴェネツィアの十字軍遠征によるコンスタンティノープル踏破で
戦利品として遠くヴェネツィアに移る。

その後、ヴェネツィアはアドリア海の女王と謳われ
黄金時代・謳歌繁栄を供にし平和安泰と思いきや
18世紀、
ナポレオンによるヴェネツィア征服。
またも戦利品として、今度はパリへ。
そしてナポレオンの没落後
わずか18年後にヴェネツィアに返還されたそうだ。

世紀を超えて東へ西へ。
ローマ、コンスタンティノープル、十字軍、ナポレオン、
そして多くの人々の手によって磨り減った彼らの毛と皮。

こんなエピソードには男心をくすぐられてしまうものである。。
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ヴェネツィアの街中は
世界中から集まる観光客で
昼夜あふれ返っている。

その喧騒から逃れ
ほんの少しだけ裏道へ入ってみると
小運河と小さな橋が入り乱れた
まるで迷路のような
夢世界。

夜が更けて
帰りの道など気にもせず
思いのままに歩きまわる。

はるか昔にもその道に
迷い込んでいたであろう
ヴェネツィアの商人の足跡を追い

沈みゆく水の都の
壮大な歴史とロマンに想いを馳せるのも
贅沢な旅のひと時。
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2011年10月3日
ヴェネツィアより
# by kentaro_torii | 2011-10-03 23:59 | イタリアより